
このサイトの全ての文章の無断転載を禁じます!!奮戦教師の苦い告白
空回りする教育的情熱
有効打打てず「子供たちに申し訳ない」
八木哲
2000年1月23日(水)産経新聞静岡版”学びと教えの現場から”掲載
ここに,教育的情熱をみなぎらせた,一人の若い教師がいるとする。
朝は,誰よりも早く学校に行き,夜は夜とて,大方の先輩教師が帰ったあとまで学校に残っている。子供たちのノートを見たり,明日の授業の準備をしたり,あるいは教室の掲示をしたりするためである。
若い教師のこうした「奮戦」−それは,「一人の」ではなく,おそらく「ほとんど全ての」小中学校で見られる光景であろう。
ところが,やんぬる哉(かな),その「奮戦」は空回りすることが多い。二十年余この仕事に就いてきた私の,経験的実感であり,断言でもある。中には,空回りに次ぐ空回りに,かなり疲れておられる先生もいるかもしれない。
かつての私がそうだった。私の場合,「疲れ」を越えて,「喘(あえ)ぎ」もしくは「身悶(もだ)え」という地点まで到達していたことを,ここで正直に告白申し上げる。
今回は,そんな私の「述懐・告白」の一端である。
◇ ◇ ◇ 私は,教師になりたてからの八年半,小学校の先生であった。その間の担任の経験は三年生から六年生。それぞれの学年なりの子供たちの個性,輝き,かわいらしさを,いまなお十分に思い起こすことができる。
初めての学級担任は五年生であった。出会いの日からの一週間くらいは,私は全く,冒頭に記した「若い教師」そのままの姿であった。「理想」に燃えた情熱の心地よさに,まだその身をゆだねていられた。
ところが,「現実」は割と早く訪れた。一週間も経つと,授業中のおしゃべりが増えてきたのである。やがて,手いたずら,隣との突っ突き合いなども登場し「騒然」とした状況が頻発するようになってきた。
授業だけではない。朝の会,帰りの会,給食,そうじ…。学校生活のあらゆる分野に「好ましからざる状況」がしきりに起こるようになってきた。「荒れて」きたのである。
「何とかしなくては…」と思いながらも,有効打が打てないでいた。もどかしかった。悔しかった。何より,子供たちに申し訳なかった。
隣のクラスは,「ちゃんと」しているのである(その時の私には,そう見えた)。
「自分のような者が,教師をしていてもよいのだろうか?この仕事に合わないのではないか?」−そういう思いにもとらわれた。
「自分のような者」と思うには,それなりの理由があった。小学校の時代の自分の姿が,よく脳裏をかすめたからである。
小学校時代,私には,いわゆる「基本的生活習慣」というものが身についていなかった(今も−かもしれない)。
朝は,ぎりぎりの時間に前日そこらに放り出しておいたままのランドセルをひっかついで駆け出していく。給食の時間に手を洗うが,その手はズボンの横っちょか,教室のカーテンで拭(ふ)く。あるいは自然乾燥にゆだねる。ハンカチを持たぬ少年だった
そんな自分が,たまさか教師になったからといって子供たちを「ちゃんと」させることができるのだろうか。「忘れ物をしない」だとか「整理整頓」だとか言う資格があるのだろうか。
こうした自らの生育歴にまでさかのぼっての自問・懊悩(おうのう)が続いたのである。(もちろん仕事もしていた。)
そのような私に,大きな転機が訪れた。
「教育の技術の法則化運動」(代表・向山洋一先生)との出会いである。書店で同じタイトルの本を見つけ,その運動の下(もと)に集うサークルがあることを知った。それが,そして,それからがどのようなものであったのか,稿を改めて報告しなくてはなるまい。◇ ◇ ◇ 次回からいよいよ,その仲間たちがここに登場し,「学びと教えの現場から」の奮戦記が始まる。